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村山槐多の愛した信州



天才画家 村山槐多(1896〜1919)が少年時代に描いた作品130点が発見されたそうです。
その新発見の作品を含む展覧会が7月27日〜9月1日の期間、信州上田市立美術館サントミューゼで
開催されています。今日、観覧してきました。

槐多は22歳で夭折し、今年は没後100年です。
愛知県の岡崎市に生まれ4歳で京都に移住します。それから18歳までを京都で過ごします。
その間の14歳の頃からの絵が新しく確認されたのです。
最初は京都の寺社や風景画などをパステルで描いていました。
これが槐多の発明した技法で、家具等の仕上げに使う樹脂を混ぜたり、刷り込んだりしているそうです。
私にはクレヨンに見えました。

従兄弟の山本鼎が絵の才能を認め、油彩の道具一式を与えたそうです。
パステル画もそうですが、始めた頃の油彩画も大人びていて素晴らしいです。
もはや少年の絵ではありません。
下図や習作、デッサンも残っていて本作を書く前に、試行錯誤する姿勢はまるで大人の画家です。

18歳から上京し画家の道を歩きます。
その後、信州の山本鼎の実家(現在の上田市)に滞在することもあり、自然に親しみ デッサンの
訓練に没頭します。
少年期から自然が好きで描いていますが、信州の自然も気に入ったことでしょう。
山や、田園、民家、農民など描き その作品が残っており、自然豊かで素朴で叙情あふれる
雰囲気が伝わってきます。
信州に住むものとしては、昔に思いが巡り、しみじみします。

最初は写実的な絵でしたが、後半は野生・本能のおもむくままに描くアニマリズムに
傾倒していきました。
これこそ、槐多の真骨頂だと思います。ただし、少年期の画家をめざしたころの
創作があってこそだと思います。

槐多は詩人でもあり、こちらもすごい作品を残しています。
恋多く(惚れっぽいんです)、破天荒な人で、横山大観、高村光太郎、与謝野晶子などにも
才能が認められていました。

残念ながら22歳で結核の為亡くなってしまいます。
惜しい才能を日本は失いました。
でも、残された絵や詩に触れると、なにか湧き上がってくるものがあります。
貴重な文化遺産です。触発され、創作に向かう人もいると思います。
ストレートに気持ちを作品に出すこと、またストレートに物事をとらえることを
意識したいです。時々、画集など広げて見たいと思います。

上のスケッチは私が20年ほど前に描いた信州上田市の塩田地区です。
少し大正期の雰囲気も残っているかな。

at 20:47, まっちブログ, 工場長 新井

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