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無言館に行ってきました。



終戦から73年目の夏です。
あの夏の今頃はどんな天気だったのでしょうか?
今と同じように蝉も鳴いていて、百日紅の花も咲いていたのでしょうね。
でも人々は途方に暮れていたことでしょう。

それが現在は復興し平和な暮らしができるようになっています。
復興を支えてくれた世代の方たちのおかげですね。
感謝の気持ちを忘れてはいけないと思います。
もっと忘れてはいけないのは、戦禍で犠牲になった人々のことです。
今こうして平和な世の中から見れば、あまりに理不尽な死です。
さぞかし無念だったと思います。遺族の方もです。

芸術の世界でも、同じように犠牲になった方たちも沢山いらっしゃいます。
もっと絵を描きたいと思っていた若人たち。戦没画学生です。
ほとんど20代の若さで亡くなられています。

信州上田市にある「無言館」は そんな方たちの生前の作品を展示しています。
昨日、行って来ました。
(この時期、数年ごとにお邪魔して観賞しています。)

観賞すると毎回そうですが、適切な言い方ではないかもしれませんが普通なんです。
全てではありませんが、ごく普通の日常の芸術作品が多いのです。
(戦争にまつわる現地からの手紙とか、遺品の展示物は普通ではありませんが)
風景画、人物画、植物画、静物画など今の画学生も描くと思います。
作品としては みな上手く、純粋に芸術として感動し感性を刺激するものです。
しかし、これらの作品作成の後に、彼らに悲しい最期が待っていたことに心が痛みます。
そう思うと、残された作品の存在も違う意味で重みをもってきます。
平和な時間の尊さを語りかけてくれます。作品が愛おしく感じます。

自分も絵を描きますので、友達の作品のような感じで見るとより身近に感じ、描かれた
ときの心情や心象に思いを馳せることが出来ます。
彼ら自身の作品への思いも聞いてみたくなります。
作品のタッチや線の抑揚、色彩の工夫、遺品のパレットに残された絵の具のごつごつ、
傷んだ筆先、使いかけの画材など見ていると 生きた証、創作への意欲、エネルギーを
感じます。
戦争さえ無ければ普通に芸術活動ができたのに。
(芸術自体に普通と言う言葉が適切かどうか分かりませんが、何も邪魔するものがなく
打ち込めるという意味です)
素晴らしい作品がもっと生まれていたことでしょう。
そう思うと悔しさも強く感じます。理不尽です。

私たちはこれからも世の中が平和を逸脱しないように、強い気持ちを持ち続けていたいと
思います。
それが犠牲になった人たちの一番の供養になると思います。
普通に絵が描ける幸せに感謝して。

上の絵は無言館の別館「傷ついた画布のドーム」です。
天井に貼られた、戦没画学生のデッサンが素晴らしいです。
(システナ礼拝堂のミケランジェロの天井画みたいに貼られています)
無言館の周りの木では、蝉が激しく泣いていました。


at 01:55, まっちブログ, 工場長 新井

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